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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。



【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)



●大本営

大本営発表ですっかり有名となった悪名高い組織。

実際には、
陸海軍の方針調整および
それによる統帥権の一本化
および天皇による権威づけなどの機能があったと考えられる。

戦時に設置される。逆にいえば、大本営の設置は戦争準備宣言となる。

『天辺の椅子』では、日露戦争の大本営設置日について、
事前の相談がなかったからといって寺内陸相がつむじをまげ、
「宣戦布告前の大本営設置には反対。」と妨害した。

(なお、この時点で第1軍には動員令がかけられ、ロシア公使の退去命令も出されていた)


●満州軍(日本)


日露戦争時に設置された現地司令部。200人程度で構成される。
第1〜第4軍まで、皇国陸軍の大半を指揮下に置いていた。



●日清戦争と山縣有朋

日清戦争時、山縣は第1軍司令官として満州に赴く。
このとき、独断での奉天進撃を強行。
同軍参謀副長の田村 怡与造はこれに反対し、大本営にも具申している。

ほどなく、「健康上の理由」のため山縣は前線司令官の任務を解かれ、帰国する。
この人事は、大本営の命令に従おうとしない山縣の更迭であったと考えられてきたが、
近年では、高齢で体調が悪化しつつあった山縣に、
過酷な満州での冬季作戦の指示は不可能であるとの判断から、
本当に「健康上の理由」での措置だったという説も出ている。

なお、このときすでに山縣は元老であり、内閣総理経験者であり、
日清戦争直後にも再び首相となる国政、陸軍の両方における超VIPだった。
(なんといっても西南戦争の時にはすでに総指揮官をしていた)

そんな彼が現場指揮官である56歳にして、第1軍司令官を買って出たのは、年寄りの冷や水というべきかもしれない。まあ、それをいうなら大山巌も日露戦争時には60歳を超えていたのだが。


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