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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。



【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)



●ウラジオ艦隊

ロシアの極東艦隊のうち、ウラジオストック艦隊は、日露戦争後に大いに猛威をふるった。
7月末には津軽海峡を越え、横浜沖にてイギリス船やドイツ船の拿捕や撃沈を行っている。
このことは、大本営を大いに焦らせ、第3軍を急きたてる要因となったとされる。


●長岡外史

明治陸軍におけるヒゲの人。




プロペラ髭と呼ばれていたようだ。どうやったらこんな髭になるのか。


伊地知とは陸軍大学校の一期生同期。

日露戦争時、満州軍参謀長となった児玉源太郎の後任として大本営参謀次長を勤める。

今日、第三軍の乃木や伊地知を無能とする言説の多くは、『坂の上の雲』を含め、彼の回想に依拠している。

つまり、『坂の上の雲』的な第三軍の評価は、今日の文脈に照らせば、
本部勤めのエリートが、現場の同期がもたつくのを見て、

「あーあー。だからオレの言ったとおりにしておけば…。なんでわかんねーかなー。」
「だから、アイツは使えねー。」

というのと類似の観点でなされた回顧に結構な影響を受けている可能性がある。

ちなみに、日本にスキーを紹介した人として知られる。

スキーを愛好するすべての日本人よ、長岡外史に敬礼!といいたい。


●日本陸軍の命令体系

第3軍の直上の組織は満州軍であり、
大本営は、原則として頭越しに第三軍に命令を行うことはできない。
(あくまで編成や大まかな方針に権限を持っていると思われる)

また、満州軍といえども、第三軍をはじめ軍団の具体的な戦略内容に容喙する権限はない。

後に、旅順攻略の方針について、御前会議まで開かれたこと、
大詰めでの児玉の訪問が微妙な問題をはらんでいたこと等は、
これらの事情によるものである。

●大本営から満州軍への電報

武器も兵員も整ってないし、無理は承知だけれども早く旅順を落とすように、という趣旨の電報が7月12日頃に満州軍司令部に送られている。(その前日に海軍から(艦隊→軍令部→大本営の順で)、陸軍への旅順早期攻略の要請があった。「無理押ししてでも早く攻めろ」という要求は、旅順の防御力を知らなかった証拠としてしばしば取り上げられる。

誰かが、その内容はほとんど「当て推量や恐怖心で単に急かしているだけ」と批判していた。

なお、上記ウラジオ艦隊が横浜沖に姿を表したのは、7月20日前後で、実はこの電報の後の事件である。
時系列が混乱するのは、戦争ものの創作によくあることで、『坂の上の雲』さらに、それが依拠していると思われる史料にも幾つか時系列の混乱が見られるという。…はい、すいません。言い訳です。


●満州軍の移動

7月上旬に大連に移動。
おそらく広島宇品を経由したものと考えられる。


●将官の休息

明治軍人といえども、将官は四六時中働きづめではなかったと思う。たぶん。

●海水浴

江戸時代まで日本には、
庶民が海岸に集い水着を着用して遊ぶ「海水浴」の習慣にはなかった。

この「海水浴」を健康に良いものとして広く普及につとめたのは、初代大日本陸軍軍医総監となった
松本順(良順)であったそして戊辰戦争では幕臣として奥羽列藩側の軍医を勤め、
投獄されていた良順の能力を見出し、抜擢したのは山縣有朋であった。

水g…もとい海水浴を愛好する、すべてものよ、松本先生、そして山縣元帥に敬礼!といいたい。



皇国坂に水着回があったら…というお題を頂いたので、
なんとかきゃっきゃウフフな水着回を描こうとしたもの。
…全然、楽しそうにならなかった。

コダマさんも、笑顔ひきつってます。。。



ロシア軍が襲いかかり、海軍が助けに来るというショートストーリーを考えたものの
作画にする力がまったくなかった…。


遠近法?…ああ、聞いたことはあります。


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