●Lesson 1 障子を破れる男をアピールせよ!
ご愛読ありがとうございました!
【昭和日本マメ知識】(敬称略)
(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)
(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)
●『太陽の季節』と「太陽族」
(wikiより)
「石原慎太郎の短編小説「太陽の季節」で描かれたような無秩序な行動をとる若者や、作品に影響を受けたとして犯罪行為をする若者、同映画作品と似たようなファッションをする若者のこと。命名者はジャーナリストの大宅壮一。→太陽の季節」
「似たようなファッション」に障子を破る行為が含まれていたのかどうかは不明である。
もちろん『太陽の季節』は、その作中にどれだけ犯罪描写やそれを称揚する地の文があろうとも、犯罪を奨励する小説ではないし、仮にそうであっても、個人の犯罪行為に関して作品に責任はない。
なぜ、『太陽の季節』や『太陽族』が社会現象として注目されるようになったのか。
そのキーワードの一つは「身体性」であると考えられている。
それまでのサロン的な友情や恋愛を描いた文学、また道徳的なお説教を念頭に
そんなんじゃあ、おれたちの滾る熱い想いは捉えられないぜ!
俺たちはそんな理屈で考えているんじゃない。身体で感じてるんだ!
という若者の情熱を形にしたということらしい。
それまでは抑圧されてきた「リア充」、「DQN」的生き方を肯定し、
愛までも物質化された現代文明に対して開き直った、という理解でいいのかな?
この「身体」を軸とした議論は、長じてはこういう具合に発展する。
最近の若者は知識ばかりを詰め込んでいる
失恋など身体的感覚を伴った生の経験が足らない。だからダメなんだ
ネットや携帯、テレビが若者をダメにしたよね。
とかなんとか。
つまり「太陽族」が謳歌した「身体性」なるものは、
過去のインテリだろうが現代の若者だろうが
両方をぶった切ることが可能な
魔法の武器である。
Get 身体性!
『太陽の季節』で描いた若者像、
その延長にあるはずの現代社会を
筆者自身は肯定的に捉えているのかどうか、
話題となった「天罰」発言からは、
物質文明化には批判的なのかな、とも思われるが。
興味深いけど、私は不勉強のために分からない。
だれか知っていたら教えてほしいっす。