経略編 5






















<前へ     次(外交編)へ>

皇国ヒルズトップにもどる

▽感想・コメント・ご意見は、こちらまでお願いします。

コメント一覧は、こちら■〒■


※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。



【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません)
(※wiki読んだという程度の知識で書いてます。誤り等ありましたら、ご指摘お願いします。)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)



●内務大臣

wikiによると内務省は、警察、衛生、治安維持、地方自治などを管轄していた。
第二次世界大戦まで、副首相格の位置にあったとされる。

児玉源太郎は参謀次長に降格するまで、このポストと台湾総督、文部大臣を兼任していた。
児玉の前任は、内海忠勝という長州出身の政治家が務めていた。



●日露戦争と「国民」の形成

今日では、日露戦争はメディアや国民形成など社会史の文脈から見直されることも多いようだ。

1899年軍機保護法や山縣内閣期に成立した1900年治安警察法。
情報の統制や操作、軍神の神話、忠魂碑、戦勝パレード、婦人会による動員など、
国民動員の法制度や機構、舞台装置が整いはじめたのが日露戦争前後ってことらしい。

もちろん、これらの体制が児玉によって整えられた、などということはない。…たぶん。

また、日露戦争を期に強化された「国民」意識が、
のちの大正デモクラシー(日比谷事件を発端に)の基礎となったという評価もある。



●児玉源太郎の情報戦略

参謀次長、満州軍参謀長として
旅順陥落やら奉天会戦などの立役者として有名な児玉源太郎だが、
近年では軍事面での参謀としてはちょっとアレだったという説もあり、
むしろ政治手腕のほうがより積極的に評価される。

日露戦争は戦争の情報が世界に、リアルタイムで報じられ始めた時期の戦争であり、
海外記者団を通じた国際的なイメージの発信のうまさなんかが『その時歴史は動いた』で
取り上げられていたようだ。見てないけど。


●戦争回避派

日露戦争の直前まで、ロシアと話し合うという動きが日本にもあった。
伊藤博文の「満韓交換論」などが有名。

とりあえずロシアの満州における利権を約束する代わりに、
韓国は日本の勢力圏だから来ないでね、というもの。

ロシア側がこの提案を歯牙にもかけないようにあしらったので
(北朝鮮部分を非武装地帯にして日本の南朝鮮での利権を認める対案を提示)
戦争やむなしとなる。



<前へ     次(外交編)へ>

皇国ヒルズトップにもどる

inserted by FC2 system