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騎兵編6 騎兵になりますらい















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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。





【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません)
(※wiki読んだという程度の知識で書いてます。誤り等ありましたら、ご指摘お願いします。)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)


●秋山好古のキャラ

『坂の上の雲』、においては寡黙で質素。
弟、真之に厳しい、ちょっとした変人として描かれている。

軍人になったのも、お金をかけずに学校にいけるからとかなんとか。

司馬小説の典型的な「漢」キャラ。

その後、騎兵の旅団長として活躍することから当時から「馬上の大将」、「不退転の将」のような印象を受けるが、しかし、おそらく司馬が最も描きたかったのは、おそらく軍人、大将としての秋山兄ではなくもう少し地味な技官としての秋山兄ではなかったかとおもう。

例えば、話のどこかで、日本陸軍全体がドイツ式にシフトしていく中で、秋山は騎兵の思想に関してはフランスのほうが合理的であると判断し、フランス式を採用したというようなエピソードが紹介されていて、本当にどうでもいいような話だが、たぶん、そういう理に徹する現場の技術者というところに司馬の強調点があったんかな、と今になって思う。

なお、司馬小説の中では、長身の男として描かれている。
背が低かったコンプレックスなどは当然ない。むしろ児玉にそのコンプレックスがあった。
秋山はまた西洋人的な風貌の美男であったともいわれる。
おしゃれなんぞに気をつかわなかったが、それでもカッコよかったとか。

初めて秋山の写真を見たとき小説はやはり小説だと、大人の階段を上った気がした。


●エリートとしての参謀

日本陸軍における参謀本部、海軍における軍令部は相当なエリートであった。

秋山自身も、陸軍士官学校、陸軍大学校(第1期?)の道を進んだ相当なエリートであるが、
参謀本部の人たちは、その中でも選りすぐりのエリートが進む道となった

参謀本部の歴史自体は、世界史的にもそれほど古くなく、
ビスマルクの時代に、メッケルの師であるモルトケが作り上げたもの。

戦場が複雑化するにつれ、戦略的な意思決定を行う独立の専門的な部局を作ろうというもの。

それ自体は、合理的な考え方だが、エリートの巣窟となることの弊害、
またそのエリートの専門性が「戦略、戦術」に関するものが主で、
例えば秋山のような現場の技術者の入る余地がなかったことなども
後の日本軍の愚行、精神主義の要因の一つではないかと思われる。
(技術的な諸問題について疎いとまではいかなくとも、専門性に欠けていた?)
あるいはそのような人が軽視さえされていた向きもあったのではないか。

戦後の日本でも、
官僚機構において文系キャリアが理系の技官より圧倒的に偉そうってのは
そういう風習の一つの気もする。

他国の軍隊とか今の自衛隊とかではどうなってるのかな?
砲兵将校のナポレオンが出世していく様を見ると違う気もするが。時代全然違うけど。
この時代よりもさらに、戦争に技術的な知識が必要そう、というか技術の戦争だから
昔よりは、技術者、理系が重宝されているのだろうけど。

ただ、ノーベル賞受賞者が、社会について語るのを聞くとき、
また専門職の(元)軍人が、歴史や国家について論じるのを読むとき、
重要な政略的、戦略的判断において技術者が発言力を持てばいいってもんでもないな、と思う。
月並みだけどバランスっすかね。


●司馬遼太郎の「歴史の作り方」

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「あしは騎兵になりますらい」
この言葉が、後の日本陸軍のある運命を決定づけることとなった。
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秋山が兵科を選ぶシーン。
うろ覚えだけど、こんな表現だったかと思う。
このようなシーンは、たぶん創作だろう。

こういうロマンあふれる中二病的場面を、
史料に基づく事実やエピソードの羅列の中に
巧妙に織り交ぜるところが彼の上手いところの一つだと思う。


●将来何がしたいのか、目的意識があいまい

なんて昨今よくいわれる。

確かに、こういうのを書くジャーナリスト、新聞記者は
早い段階で準備しないとなれない「立派な職業」かもしれないけど
大多数のフツウの職業、また歴史において社会的に成功した人でも、
はっきりした将来の目的意識に基づいて動いていた人は多数でない気がする。

『坂の上の雲』も、少なくとも筆者が自ら語るテーマとしては
志や世界観に向かって進む「酩酊体質」の人よりも、
その場その場の課題や持ち場にこだわった地味な大多数の「非酩酊体質」の人に
スポットライトを当てようとした作品なわけで。
(「軍記物」という作品の性質上、それに成功したかどうかは疑問だが)

『坂の上の雲』が、「若者」への説教の材料に使われることもあるが、
その際にはどうか同時に

「でも、将来のビジョンという点では、彼らも結構適当に生きていたというお話だ。」
(主人公は適当な理由で軍人になって、適当な理由で騎兵を選んだことになっている。
 弟も兄に金銭的負担をかけたくないという理由で軍人になり、「死ぬ確率が低い」という
 兄のアドバイスに従って海軍に進んでいたとおもう)

「一方での国家の軽さ(将校にとって)、他方での国家の重さ(突撃する兵にとって)、
 そして、その国家の「若さ」と「老朽化」が作者の関心事であり、
 どうも明治人や日本人がエライという話ではないらしい。」

ということも付記してほしいとおもう。
読み手がどう感じるかは、もちろん自由だけれども。


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