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陣中編 2





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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。





【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)





●脚気


ビタミンB1不足発生する病気。
心不全と末梢神経障害が起こり、ひどい場合は死に至る。

ひざをたたいたりして検査する。

日本では、伝統的に脚気は存在していたが、日清戦争、日露戦争などで遠征を行った際、ひどく流行した。
日露戦争では、総動員された兵の1/4にあたる25万人が罹患し、戦死者の半分以上にあたる2.5万人が死亡したとされる。

パンを主食とする西洋では一般的ではない病で、それゆえ風土病とも考えられていた。

ビタミンB1豊富な
蕎麦や麦食が有効だというのは、日本でも伝統的に知られており、
海軍では麦色を採用したため、脚気の被害はほとんどなかった。




●森鴎外

明治を代表する文豪の一人。
軍医から小説家に転身。
代表作に『山椒大夫』『渋江抽斎』『舞姫』など。

ドイツ留学時に現地の踊り子に手を出して
妊娠させて、捨てて、最後には発狂させた自伝的小説を
『舞姫』という美しい名で出版した男の何が文豪か。
都条例も真っ青、いや、刑法上の犯罪じゃないからいいのか、
というツッコミはここではスルーします。



軍医時代は権力志向の強かった男として知られる。


日露戦争との関連では、「陸軍の麦食をかたくなに拒否した男」として知られる。

当時、西洋医学ではコッホの細菌学が全盛で、脚気も細菌によるものと考えられており日本でもエラい学者が脚気の原因となる菌を「発見」していた。

食事による治療というのは、まだ科学的根拠のない悪しき民間の伝統療法であった。いまでいうホメオパシーのような扱いか。

細菌説が覆されるのは、ずっと後に鈴木梅太郎がビタミンBを発見するのを待たなければならなかった。

麦食を導入することは、満州軍をはじめ現地からさんざん要請されたことだった。
しかし、民間療法を導入することは学問的権威をひどく傷つけるものであるため、
当時、陸軍の第2軍の軍医部長、後に軍医総監になる森が強く反対し、陸軍の麦食導入は終戦直前まで待たなければならなかった。

この手の話では、誰よりも日本兵を「殺した」、分かりやすい悪役として森は扱われる。

また、森は脚気の細菌が誤りであることを証明した「世界の北里柴三郎」(コッホ四天王)を、
それを「発見」した日本の師匠に対する深刻な裏切り者として日本でさんざん罵り、冷遇したもいわれている。
このエピソードと相まって、森犯人説はより真実味を帯びて語られる。

ただし、かなりの高位とはいえ、第2軍の軍医部長である森が、単独で麦食を拒絶し続けたとも考えにくい。
問題の背景は、当時の医学界における「権威主義」と行き過ぎた「科学主義」、それと悲劇的に結びついた「師弟の規範」であり、
食事内容の決定は、軍医の縄張りであり、彼らの沽券に関わるものであったとか。
森は後に有名人になったことから、その象徴として語られている、というのが実際のところだろう。

また、「白いおまんま」を種に国民を兵隊に駆り出していた陸軍内でも反対があった。


とはいえ、誰が「犯人」であるにせよ、
「天災」や「戦災」よりも「人災」が、
「無知」よりも「思い込み」のほうがはるかに恐ろしいことを示す事例といえる。

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