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登坂編 2













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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。





【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)



●凌辱表現と戦争

戦争物において「凌辱表現」は、
敗北あるいは戦争そのものの悲惨さを「わやりやすく」示す手法として多用される。

リアルな戦争時や緊急時には、敵国、民族の残虐さ、
蹂躙されることの悲惨さを強調する方法として用いられる。

…実際のところはどうなのでしょうかね。

何が言いたいかというかと、まあ、好む好まざるにかかわらず
避けては通れない、決して、作者の心がアレとか、そういうのでは…
いや…あの…。



●死して虜囚の辱めを受けず

昭和の戦陣訓に乗った言葉。
「捕虜になるぐらいなら死ね。」
という心構え。

捕虜になった時、
ひどい扱いを受けるから
情報漏洩を防ぐため、
安易な投降を防ぐため、
武士道の名残、
など色々と言われている。

捕虜を禁止していた、というわけではないが、
みすみす捕虜になることは、社会的抹殺になったりしたのかな。

ただ『レイテ戦記』とかでは、海軍は、結構平気で捕虜になったり戻ったりしてた模様。

日露戦争のときには、「死して…」の美徳は
まだ定着していなかったといわれている。

『坂の上の雲』では、秋山好古が拳銃を携帯していて、
敵が旅団司令部に来た時には自殺するつもりだった、と描かれていたと思う。

不退転の決意を描いたの、だったかな、たしか。

しかし、司令官が死ぬというのは実は大変な迷惑で。

沖縄でも硫黄島でもそのため、残された兵(および住民)は泥沼の戦いを強いられることになる。
沖縄戦の場合は、「オレは死ぬけど、あとミンナ徹底的に戦え。」とかなんとか。

現代の感覚では、「降伏手続きをして事態を収めるのも指揮官の役目」と思ってしまうのだが、
たぶん、今でいう「人間の盾」といか、当時のゲリラ戦というか、便衣隊というか、
王不在での将棋、無秩序を作ることで時間を稼ぐという意図だったのかと思われる。

●旅順攻略の「正しさ」

架空戦記『皇国坂クライマーズ』では、旅順攻略があたかも感情論での判断のように描かれているが、
現実の日露戦争についていえば、「旅順攻撃は正しかった」というのが通説となっている。

当初、児玉源太郎をはじめ陸軍参謀本部が考えていた
「満州での決戦に力を注ぎ、できればハルピンまで押し込む」
という構想は、多分に狭い視点での「理」が先走っている。

旅順を放置したならば
「後背に敵を背負うこと」「補給路が脅かされること」のデメリットを負う。

要塞内の兵力が把握できなかったため、少なくとも1個師団、
おそらくは実際の旅順攻略戦で消耗した兵、弾薬と同等の物量を押さえてとして
置いておく必要がある。児玉源太郎の「竹矢倉を置いておけばよい」発言は、
旅順の兵力を軽視した発言といえる。

また、狭路となっている南山を抜くことは困難かもしれないが、
補給の要となる大連は、旅順からすぐ攻撃される距離にある。

なので、実際には旅順を放置して、全精力を割くというのは現実的ではない。

また、それが可能であったとしても、旅順放置に理があるのは
あくまでバルチック艦隊回航が「ない」とたかをくくった場合である。

回航を前提とした時、「旅順攻略」をめぐる選択は、簡略化すれば次のようになる。

A.旅順放置ケース(仮想ルート)
 ・陸軍決戦の勝率上昇(中央決戦に時間と物量を割ける)
 ・海軍決戦は困難に(限定された兵力とはいえ二個艦隊を相手する)

B. 旅順攻略ケース(現実ルート)
 ・陸軍決戦は困難に(旅順で消耗して、時間も無駄にする)
 ・海軍決戦の勝率上昇(各艦隊の各個撃破が可能)

このように整理すると放置ケースは、分かりやすいようでいて
多分に陸軍中心の決戦主義であることが分かる。
逆に海軍は、米西戦争の経験から
戦争は艦隊決戦で決まるとする「艦隊決戦主義」を主張している。

ここで、陸軍、海軍、いずれの勝利が優先されるかという論点を考えた場合、

実は陸軍の勝利は、意味に乏しい。
満州平野、敵は広大な後背地を抱えており、撤退戦略が可能だからである。
ナポレオンを焦土作戦で破ったことは、よく引きあいに出されるが、
日本軍にとって、ロシア軍は「のれんに腕押し」、「押せば引く」ことが可能である。
(実際、遼陽戦はそのような戦略的撤退として報じられた)

特に、清の旧都「奉天」は、政治的にも抗戦の必要な土地であるが、
それ以北では、そのような制約も外れる。

陸上の決戦において「政治的勝利」を収めることは、おそらく困難だった。
せいぜいが「互角の勢力均衡」を演出することできる程度であり、
それのみを材料に講和工作に持っていくことは困難だったと考えられる。
旅順要塞の将兵をどこまで人質にできるかどうか。

一方で、後背には旅順要塞や艦隊が残されている。

他方、旅順を攻略し艦隊決戦を重視する場合、
敵の軍港は一つしかないため、撤退戦略は困難である。
(旅順港が健在ならば、バルチック艦隊の航路予測もさらに困難だったと思われる。)

現実にも、日露戦争の講和工作は
日本海海戦、およびその後の樺太上陸により前身している。

また、旅順を確保し、制海権を確実にしておいた場合、
陸軍が奉天付近で敗北した場合においても、
旅順だけは手に残る可能性が大きい。

そして旅順を確保しておけば、
少なくともロシアの大韓帝国進出を牽制する足がかりは残る。

これに対し、旅順を放置し、中央決戦の勝率を上げたところで
仮に負ければ、何も残らない。

以上のことから、
「ロシアがバルチック艦隊を回航する可能性。」
「奉天会戦で敗北する可能性」

というそれぞれ最悪の事態を想定した場合には、
旅順を確実に攻略しておくことは、やはり合理的な選択。、

旅順攻略はマクシミン原理に照らして合理的!

 …はい、すいません、マクシミン原理いうてみたかっただけです。
素人です。ごめんなさい。


一方で、旅順放棄案は、リスクも高く、終戦工作も困難になる選択だといえる。


ただし、
諸葛孔明のごとき知謀を以って、「最悪の事態がない」ということ、

「旅順艦隊自体は、旅順攻略をせずとも比較的容易に戦闘不能にできること」
「バルチック艦隊の撃破は可能であること」

という後の歴史で証明された事柄について、
まるで未来から見てきたように事前に確信を持っていたら、
旅順放棄はやはり合理的ということにもなる。

その発想の確信に賛同できなければ、ただの危険な案である。

…スイッチはいってすいません。

●マクシミン原理

最小(Max -min)原理。

一言でいえば、「最悪の結果、事態に備えること」、正確にいえば
「不確実な事柄について、ことごとく最悪になった場合の利得を最大化する選択」。
すること。

今回の原発事故についての言説でも、しばしば見られた言葉。

「炉心溶融が起こりうることを最初から視野に入れて、初動から廃炉を前提に動けていれば…」

というのはマクシミン原理に基づく批判の一つといえる。

直接に生命や人生に大規模な影響を与えうる国家レベルでの判断では、
この原理があるべき判断であるケースが多いと思われる。

ただし、この原理がいつでも正しいという訳ではない。
この原理が「合理的」な判断といえるかどうかは、予想される「最悪」の程度によって変動する。

あまり行き過ぎると神経質な議論になる。
試しに不衛生から生じるあらゆる「最悪」を想定して、
それを回避する労を惜しまなければどうなるか想像すればいいと思う。


歴史的には

有名な山縣の「利益線」の主張も一種の最小原理であり、
日中戦争の戦線拡大も有害図書規制もこの原理の結果といえなくもない。

そう考えるとこの「最小max-min」という言葉の中には、
最大の膨張論理が含まれているということ。

まあ、結局何を「最悪」と見るか、なのでしょうか。

なお、この逆をマクシマックス(max-max)原理という。
「うまくいったときの利得を最大化」。

個人レベルの判断としては、
実際には、どちらかが合理的かというよりは、
個々人の信念というか判断の傾向というか、
そういうものとして割りきるほかない。


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