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断点編2



















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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。





【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)




●ミシチェンコ


日露戦争において、独立コサック旅団を率いた。
「ロシア軍最良の騎兵指揮官」といわれる。
わが国でも、秋山兄の「ライバル」的立ち位置でとして名を知られていたようだ。

出身は、ロシア最南端のダゲスタン。
トルコに隣接する地域で、ムスリムの多い地区であるが
本人が混血であったとか、ムスリムであったとは考えにくい。

1915年、2月革命で粛清。
自宅で階級章をはぎ取られたときに拳銃自殺をしたという。


●ウスリー支作戦

日露戦争の当初、
遼陽、奉天、鉄嶺をめざす本作戦とは別にウラジオストックを牽制する作戦が構想された。
これがウスリー作戦である。結局、実現はしなかった。

なおロシア側の作戦要綱においても、
「ウラジオストックに牽制の軍が送られる」ということは想定されていたようだ。


●双頭の鷲

帝政ロシアの国章。
現在もロシア共和国の国章。
他には東ローマ帝国の国章でもあり、ハプスブルグ家の家紋でもある。
ヨーロッパ(西)、アジア(東)の双方を統治する東ローマの自負を引き継いだものらしい。

強引に見れば、陸軍(クロパトキン司令)、海軍(アレクセイエフ総督)の対立は
ヨーロッパ?のロシア中枢から派遣された総司令官と
アジアを統括する極東の総督(副王とも訳される)との対抗関係であり、
広く東西の統治を図る「双頭の鷲」体制の矛盾と、いえないことはない、たぶん。

旅順と奉天との距離の長さ、無防備にさわされた兵站線は、
不凍港の確保のためには現地の軍事拠点、奉天からさらに遠く足を延ばさざるをえないという
ロシアの南下政策の困難さを象徴するものとしても見ることができる。

●「分進合撃」

作戦の考え方。どの国の陸軍学校でもならう初歩の初歩らしい。
攻撃んときは、たくさんのポイントから1点に力が集中するように進軍するのが理想的だそうです。
なんでかはわからんけど、たぶん力学的な問題が何かあるんでしょうね。
日露戦争における日本軍の動きは、その理にかなっていたらしいです。


他方、守備の時は、逆に1点から、多方向に張り出すように防御したほうがいいとか。

ってあれ?
それって「理想的な攻撃」を受ける形が「理想的な防御」っってことになりませんか?
と思ったのは私だけでしょうか。


●日本軍の戦闘力

けっこう強かったみたいです。
日本軍の持っていた小銃、「30年式歩兵銃」(「有坂銃」)の性能が
威力、射程、弾丸の軽さなどで敵の小銃を上回っていたみたいで、
日露戦争において、日本軍が多数の敵に常に優位を誇れたのはこの銃の性能のおかげだと
強く主張する論者もいるようです。

第2次世界大戦の終戦まで使われた有名な38年式歩兵銃はその改良版。

40年も使える銃を、当時から使っていたとみるべきか、
40年も大幅な技術革新がなかったとみるべきか、
あるいはその両方でしょうか?


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