<前へ     次(断点編)へ>

皇国ヒルズトップにもどる

来日編5




















▽コメント・ご意見、よろしくお願いします!



<前へ     次(断点編)へ>

皇国ヒルズトップにもどる


※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。





【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)




●旅順要塞の強化

開戦以前から、クロパトキンは旅順要塞の強化に取り組んできた。
べトン(コンクリート)で固められたこの要塞が、後に日本軍の膨大な血を吸うこととなる。

なお、旅順の要塞強化は、クロパトキンの要求した金額に対して半分の予算しか振り分けられなかった。
彼の構想通りの規模で強化がなされていたならば、日露戦争における旅順の「早期」陥落、
しいては日本軍の「勝利」は、なかったともいわれている。


●スミルノフ中将

クロパトキンは、旅順要塞の強化策の一環として、歴戦の勇士とされるスミルノフ中将を派遣した。
しかし、すでに要塞司令官はステッセルがおり、彼が権限の引き渡しを拒んだため
要塞防衛体制が彼の手にゆだねられることはなかった。

経験豊富なスミルノフ中将が、要塞防衛を指揮していたならば(以下同文)。

なお、彼の部下であり要塞戦の専門家であるコンドラチェンコ少将は旅順防衛の要となるが、
陥落直前に戦死。彼の死がなければ(以下同文)


要塞防衛の人事に関する混乱劇は、一般的な、あるいはロシア的な派閥問題に加え、
そもそも日露戦争遂行の体制がクロパトキン司令官、アレクセイエフ総督といった二元体制で行われていた
ということが背景となっていると考えられる。



<前へ     次(断点編)へ>

皇国ヒルズトップにもどる


inserted by FC2 system