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来日編3



















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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。





【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)




●クロパトキン、語る

クロパトキンは、来日中、次のことを語ったといわれている。

「私個人としてはあくまで戦争を望むものではありませんが、
 もし、日本がわが帝国に挑戦してくれば、われらは300万人の
 ロシア常備軍を出動させ、東京を占拠してお目にかける」

朝鮮半島の利権について言及しないように本国から指示されていた彼は、
来日しても、日本との間で両国の利益対立に関する実質的な交渉や鞘当をすることはできなかった。
そんな彼の主な来日の目的は、日本の開戦の意志を探ることであったといわれている。

なぜ彼がこのような挑発を行ったのか、ネットでは、何人かの将軍の威圧的な態度から
陸軍の開戦の意図を読み取り、それを牽制するためであったとう意見がある。
しかし、別のところでは、この言葉が、日本陸軍の参謀たちを燃え上がらせたという見方もある。

当時、政府の御前会議では、満韓交換論でまとまっており、彼にもその旨はそれとなく伝えられていたようだ。

帰国後、彼は日露和解のためのとりまとめと、
日本が攻めてきた場合の備え(主に旅順の要塞化や作戦計画のとりまとめ)の
両面の作業に追われることになる。

好きでやってるのかどうか知らないけど、大変そうっす。

●七博士の意見書

クロパトキンが来日しているあたり1903年6月10日。
東京大学を中心とする7人の博士が、対露強硬路線、
「バイカル湖」まで攻めろ。みたいな意見書を政府に提出する。新聞にも発表された。

彼らは軍事の素人であったが、
「末は学者か大臣か」といわれた当時、「博士」は、非常に権威があったらしい。
この建白書によって、「博士もいってるんだから」とて、大いに国内の開戦論が盛り上がる。

『坂の上の雲』では、この事件に直接言及していたかどうか覚えてないが、
大山巖に「今日は、7人のバカが来た」といわせるなど、間接的に揶揄している。

wikiでも「なまじ学のあるバカ程恐ろしいものはない」という伊藤博文の言が紹介されている。



●日露開戦に向けた世論について

『坂の上の雲』などでは、先の7博士事件に象徴されるように、
政府や軍部よりも世論が戦争に積極的であったとして描かれる。

確か、慎重論を唱えていたのは政府系の新聞だけで、
あとは皆無邪気な開戦論であったとかなんとか。
で、政府もそれで困っていたとか。

その後の、日中、太平洋戦争における世論統制と当時との状況は別だったあるとか、
当時の元勲たちは、軽薄な議論に流されなかったんだとか、たぶんそういう意図かな。

いろいろな戦争の開戦について、もちろん軍部のみに責任を転嫁する意見や、
第二次世界大戦と同様の世論統制、情報操作を見るのは乱暴な意見だとは思う。
また征韓論に代表されるように、明治時代には対外への軍事的進出を求める声が
政府外、民間にも根強くあったというのは確かだとも思う。

とはいえ、日露戦争中に行われた情報戦、情報操作、国民動員体制から見て、
その直前まで単に民衆の意見に対して政府が受け身であった、
より正確にいえば、精力的であった政府および軍部の主戦派がその点に関してだけ
「無為」「無能」だった、というのも考えにくいように思う。

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