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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。



【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)



●海軍による旅順攻略要請

7月11日 連合艦隊司令長官から軍令部宛て旅順早期攻略の要請が出される。
翌日、陸海軍高級幕僚会議にて、旅順要塞の早期攻略が決定される。
同日、満州軍司令部に電報。内容は
「第三軍の兵力、装備の到着を待たずに攻撃してね。無理押ししてもいいから」

7月13日、上記決定を受けて、大山総司令長官はその翌日、
状況把握に努めるべく長山島で東郷連合司令長官と会見する。


●第三軍と満州軍の首脳会談

7月14日満州軍司令部が第三軍司令部に旅順攻撃準備と実施に関する計画の提出を命令。
7月18日、大山、児玉と伊地知が会談。

7月中での旅順包囲。8月中での攻略方針を決定。

この日程は、
上記「第三軍の兵力、装備の到着を待たずに攻撃してね。無理押ししてもいいから」
との事実上の急襲命令を明らかに無視する、正攻法の計画であった。

おそらく、東郷→(軍令部)→大本営→満州軍での伝言ゲームと
大山が直接東郷に聞いた話のニュアンスには食い違いがあったものと推測される。

現場監督にあたる満州軍が、
フロントの指令より十分な攻撃準備を望む現場の要望を優先した形となる。


●東郷平八郎

連合艦隊司令長官。

日本海海戦を勝利に導いた人物として世界的に有名。

ニミッツ提督もハルゼー提督も東郷を崇拝していたとか。

しかし、「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に勝る」とか
彼やその言辞の神格化が進むとともに、
海軍内では彼の存在を老害として捉える向きもあったようだ。

崇拝もほどほどにね、というところか。

その功績は欧州の帝国主義に苦しむアジア圏の人々の心を奮い立たせ、
トルコなどでは、子供にトーゴーと名前をつける人まで続出したとか何とか
高校の時の歴史の授業で聞いた気がする。

なお、フィンランドでは彼の功績をたたえ『東郷ビール』が製造されていた。
と、いわれているが、しかし、それは東郷個人の業績をたたえたというより、
世界の有名提督シリーズ・ビールの一つに東郷ビールがあったという話。

ちなみに近所の食堂では東郷ビールが置いてあるので飲んでみたけど、
普通のおいしいビールでした。

●遼陽会戦

1904年9月はじめにロシア軍の軍事拠点の一つである遼陽で日本軍とロシア軍が会戦が行われた。
結果はロシア軍の撤退に終わった。


●大連の温泉

遼東半島には実は温泉が出る。
大連郊外にも温泉地がある模様。
ただ、中国には日本ほど温泉をありがたがる文化はないようで、ネットで見た温泉施設もどことなく日本人観光客向けのものであるような感じがした。


おまけ


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