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立志編はじめました!

 

2016年新都社ミスコンテスト企画、参加してました。

▽コメント・ご意見、よろしくお願いします!

 

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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。



【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)

●第二回総攻撃後の海軍

203高地を攻撃しなかったことを憤慨。
203高地への攻撃要求を強める。
秋山真之が旅順攻略より、203攻略が重要
「師団の2、3を擦り物してでも取ってほしい」
という趣旨の(うろ覚え)有名な言葉を吐いたのも
この時期以降(正確には第3次総攻撃)時。

陸軍としては、「なまこ山」を確保したことで
湾内の艦隊にかなり打撃を与えていたのだが、
白玉山の死角に艦隊が隠れてしまい。
無力化の核心を得られなかった。
気球も飛ばしたが、みえなかった。
観測地としての「なまこやま」の意義が
期待ほどではなかったことが、児玉の心理に微妙な
影響を与えたとする説もある。


●山県有朋と伊藤博文

いわずとしれた幕末長州藩以降の巨人。

山縣は軍を掌握し権勢化の道を、
伊藤は英語力を武器に初代総理大臣、政治家の道を、
それぞれ進んでいく。

二人とも明治政府の重鎮、元老であったが両者の間には
政策路線、またそれぞれが形成した派閥の対立
など様々な争点があった。

特に国内政治体制においては、
近代化の途上にあるとして官僚(軍人含む)による政府運営を志向する山縣
立憲政治の確立を目指し、政党政治への移行を志向する伊藤
といった路線の違いがあった。
(伊藤の政党志向は元老の間でもういていたという)

日露戦争開始直前には、伊藤は政党政治の育成のため
政友会総裁に自らついていたが、そのように「浮ついた政治ごっこ」から
引き離すため、山縣、桂らが画策し、枢密院議長に伊藤を「祭り上げ」してしまう。
その際、根回しに回ったのが児玉だもといわれている。

山縣が、伊藤のことを「枢密院議長」と呼ぶことがあったなら、
それはかなりの皮肉といえよう。

ちなみに、この両巨頭が実際どのような仲だったのか、
しがらみを超えて個人的にはどうだったのか、よくわかっていない。

仲がいいとも悪いとも、ググったぐらいでは情報はわからない。
おそらくそれぞれ忙しくて単純に会えない、ということに加え、
様々な憶測を避け、距離を置いていたのではないか。

日露戦争終結時、ポーツマスから帰国して泣き崩れる小村壽太郎を
伊藤と山縣が両脇からかかえて首相官邸につれていったという逸話もあり、
こういったところでは相通じ合っていたのではないか、と妄想。

●資金調達問題

後、二二六事件で殺されてしまう高橋是清がロンドンで金策に走り回っていた。
第1回目の募集はそこそこうまくいっていたが、第2回目はやや苦戦。
秋には旅順攻略の遅延、遼陽会戦で大勝しなかったこと、など不利な材料が出回る。
一方ロシア側も、バルト艦隊が、イギリスの民間船に誤って砲撃するという事件もあって
そのことで、日本の公債価格が持ち直したりしている。
具体的な数字などに興味があれば、『日露戦争ー資金調達の戦い』という本がオススメ。

●児玉源太郎辞表問題

遼陽会戦終了後、なぜか公債価格が下落し、次の資金調達が難しくなった大日本帝国軍は
海外記者の応対、情報開示が重要であることをようやく理解し、その訓示を大本営から満州軍宛てに発布する。
また情報対応の刷新を世界に印象付けるため、その訓示は海外記者にも公開された。
これに対して、満州軍参謀長児玉源太郎は激怒。
「機密は見せられなかったが満州軍はちゃんと対応していた」
「東京の対応がまずかった」
「大山司令官に恥をかかせるとは」
など並べ立て、さらに
「これでダメというなら小官の手には負えませんわ」
というような拗ねたことをいって、
大山にも相談することなく訪問していた旅順先から突然の辞意を大本営に伝える。

大山が仲裁に入り、大本営の山縣も陛下の意向をチラつかせることで解決。
もともと児玉源太郎には本当に辞める気はなかったであろう。
なんとも、おおらかなというか、子供っぽいエピソードではある。

●満州軍の動き

1904年11月。
第二回総攻撃が失敗に終わり、いよいよ第3回総攻撃が行われる月。
この頃、満州軍と大本営の摩擦と緊張関係は頂点に達する。
満州軍首脳部の振る舞いも、戦略、戦術的合理性の観点からやや不可解なものとなる。
しかし、彼らが戦っていたのが、敵ではなかったとするならば
なんとなく色々腑に落ちるような気持ちしている。

●第8師団問題
 第1回総攻撃が失敗した時、第三軍は大本営に戦力増強を求める。
 旅順での決着を優先する満州軍もまた、
 次に増援される第8師団(弘前)を第三軍に回すように要請するが
 結局、第八師団は北の満州軍本隊に配属されてしまう。

 大本営の方針を呑まず、彼らが愚策と考えていた正面攻撃にこだわり
 兵を無駄に損耗する第三軍に新たな師団を配属することは、徒らに
 兵を死なせることになると考えたためだと思われる。

 この第八師団は満州軍の後備隊となり、その活躍?は旅順陥落後の
 黒溝台会戦まで待たなければならない。

 なお、この師団は、かの八甲田山雪中行軍事件でも有名である。
 ガルパンで、この八甲田山がネタにされてた。知らない人はググろう。
 映画もあるしその原作の新田次郎の小説もあるよ。

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