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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。



【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)

●乃木保典
 歩兵第15連隊というところまでわかったけど、どの小隊にいたのかはわからなかった。
 旅団司令部付きだったので、小隊を率いてはいなかったっぽい?

●突撃とそのかけ声
 予備砲撃の最終着弾後に飛び込む模様。少なくとも初弾ではないようです。
 前線には「最終着弾まであと◯秒!」みたいな連絡が通信で届いていた模様。
 「第◯◯小隊、突撃にぃ!前へー!!」だったらしい。
 ラッパは日露戦争後期にはならない。

●児玉の旅順訪問
 満州軍の参謀長児玉の旅順訪問については、
 第11月末の第3回総攻撃時のものがクローズアップされることが多いが、
 実は9月の準備攻撃の際にも来ていた。会戦が20日後にひかえてるのに何やってるんだ!
 とも思ったが、第1回総攻撃の結果を考えると、次の攻撃を視察にくるのは当然の心情か。

 
 このときも、第3軍の弾薬補充に一役買っている。
 この予備攻撃で第1師団の弾薬はほぼ尽きかけていたが、
 「幸い児玉さんがダルニー(大連・旅順方面のこと)に来てたから補充してもらえた」
 との第三軍副参謀の日記が残っている。児玉の役割を考える上で興味深い。

 なお、いつまで滞在していたのかは不明。

●203高地
 いわずとしれた旅順攻囲戦の描写においてクライマックスとなった戦場。
 一般に、この高地の攻防が旅順の死命を制したとされ、攻撃の早期にここを攻略しなかったことが
 乃木および第三軍司令部を無能とする説の主要な根拠となっている。
 一方で、彼らの擁護者は、ここが旅順戦において、さほど重要ではなかったことを強調する。
 (あくまで主要防衛戦の外側にあり、旅順要塞攻略という目的そのものからは遠い等)
 
 9月頃から、湾内を見落とせる観測所を求める海軍の要請により攻撃対象となったとされる。
 (それ以前の西方攻撃は、むしろ大本営の急襲提案によるものだった?)
 9月時点では、児玉もあまり重視していなかったことが知られている。(むしろ伊地知が重視していた)

 なお、映画『二〇三高地』は、塹壕戦を見事に描いた作品として高く評価されているようだ。

●南山坡山の攻略について
 第2回の予備攻撃において 日本軍は西方戦線の203高地の近くにある南山坡山(通称「海鼠(なまこ)山」)
を制圧している。司馬遼太郎は、「獲得したのは、つまらない海鼠の形をした山程度である」と表現していたように
記憶しているが(うろ覚え)、乃木愚将説の批判者は、こぞってこの時点で旅順艦隊はだいたい見通せており、
旅順攻略にとって、203高地の攻略による観測所の確保という海軍の要請は、重要な課題ではなかったと考えている。
(事実、この後、艦隊への攻撃が再開している。一節には見えないところも碁盤の目のように順次攻撃していたとか)

したがって、海鼠山から艦隊がどれだけ見えていたのか、というのは、203高地攻略の意義を考察する上で
非常に重要な論点となる。現在残っているのは下記の記録であり、ちょっとどっちともいえないなあ、という感じ。
(狭いながらも死角が残っているというのは確かなようだ)

なお、どっちにせよこの9月の時点で、旅順艦隊はほぼ壊滅しており、その大砲や水兵も
要塞防衛にかり出されている。

なお、下記も参考になる。
http://www.sakanouenokumo.com/kikaku/kounai.htm

●「あだち去」
 あだち充先生によって確立された手法。詳しくはググってみて下さい。
 私もその表現意図を充分に理解してはいないけれども、とりあえず便利。

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