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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。



【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)

●10式戦車
 明治皇国にはなかったはずの最新鋭戦車。とにかく強いらしい。
 しかし弾丸20-40発ぐらいしか持てないので、これ10台で旅順を1日で落とすのは難しいかな?

●28サンチ榴弾砲
 ドイツのクルップ社の11インチ砲を原型に、イタリアがつくった大砲を日本の大阪でライセンス生産したもの。
 前世紀の固定海防砲。なお、旅順要塞には同クラスの大砲が配備されていたらしい。

 これを取り外して野戦攻城に用いるというのは、おそらく戦術上の一大革新ではあったようだ。

●28サンチ榴弾砲の運用をだれが提案したのか。
 大本営参謀次長、長岡外史は日記等で「ワシが陸軍大臣の反対を圧して導入したんや」と書いてあるそうだし、
おそらく同時代もそのように触れ回ったものと思われる。しかし、真相は技術的には有坂、政治的には当時の陸軍大臣、
などが旅順攻撃の前から要塞攻撃への活用について、大本営に打診し、大本営がそれを断っていたという経緯がある
ようだ。あるある、そういうこと。
 そもそも、28サンチ砲は、すでに占領した大連の防衛用に輸送される手はずも整っていたらしく、要塞攻撃への転用は
手近にある武器をとりあえず使ってみた、という性質も強かったふうにも思われる。

●第3軍は28サンチ砲の配備を断ったのか?
 伊地知をはじめとする第三軍司令部の無能ぶりの主要な根拠となっているのが、彼らが28サンチ榴弾砲の導入を断った
というエピソードの存在である。大本営が28サンチ砲の活用を第三軍に打診したところ、「送ルニ及バズ」とすげない返事が
返ってきた、ということが長岡外史の日記には書かれており、それが今日も流布している。司馬遼太郎はこのエピソードに
よせて、彼らの手持ちの砲では、ベトンで固められた堡塁を破ることができず、28サンチ砲を用いなければ突破できない
そんな簡単な計算もできないのか、厳しく罵倒している。
 実際には、28サンチ砲を固定する為のコンクリート(ベトン)の乾燥時間を懸念した第3軍が、「次の攻撃に間に合うか
どうかわからないので、今後のこともあるから、とりあえず送ってくれ」と返信したらしい。その味気ない返事が「いらん」と
記憶されたのだと推測される。
 
 ちなみに、ロシア軍の陣地正面の壁は3mのところも多く、また203高地の方面は泥地帯であったため、榴弾による防衛
施設の破壊は実際にはかなり困難で、少なくとも28サンチ砲の直撃1回で直ちに粉砕できるものでもなかったようだ。

●五右衛門風呂
 釜タイプの風呂。薪で温める。底でやけどしないように、浮かんでいる円形の底板を踏んで入る。わりとコツがいる。
あがると、それがぼこんと浮かんでくる。幼少期、筆者の田舎にはまだ残っていて、面白い半分、難儀もした。
由来は、いうまでもなく、石川五右衛門の釜茹での刑。考えて見るとすごいネーミングセンスだ。 

●ビール
 明治末期にはもう国産の麦酒(ビール)が製造されていた。冷蔵庫等はまだ普及していない時代なので、
基本的にはぬるい状態でのんでいたようだ。

●乃木の風呂イベント
 第三軍乃木司令官の人徳、部下への心遣いを示すエピソードとして、深夜働く参謀長伊地知に、
「薪の番をしている兵卒が寒い思いをしている。早く風呂にはいってやれ。」と、風呂と休息を
勧めたというのを、何かで読んだ。恩着せがましくない、ということなんだろうけど、考えて見ると
少し微妙なエピソードな気もする。

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