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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。



【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)

●28サンチ砲の威力について

旅順攻囲戦に関する物語において、
はずすことのできない主役の一つは、
「28サンチ榴弾砲」である。

本国の海防のために備え付けられたこの大砲を外し、
攻囲戦、そしてその後の野戦に転用されたことは、
軍事史上においても大きな意味を持つものであった。

のちに言う「大艦巨砲主義」的な、
国威発揚という文脈からいっても
また「要塞砲の転用」という大胆かつ節約的な(せこい)
発想からも、この大砲の活用は同時代から
大きく注目されていたに違いない。

要塞戦の終盤、ロシア旅順艦隊が、
203高地からの観測に基づいた28サンチ砲の間接射撃によって
次々沈んでいく様は、日本側から見た軍記物として
もっともカタルシス溢れるシーンであっただろう。

この大砲はまた、『坂の上の雲』などにおいて
伊地知をはじめとする第3軍司令部の無能さを示す小道具としても言及される。

いわく、肉弾戦にこだわる伊地知はこの大口径の大砲の意義を理解せず、
「送る」といった大本営の申し出を断った。ベトンで固められた永久砲塁に
既存の大砲では歯が立たないこと、威力とベトンの厚みさえ計算できなかった無能な
砲兵出身の参謀。この前後をめぐる伊地知への中傷は苛烈を極めていたように覚えている。

また、別のところでは
せっかう送ってもらった28サンチ砲を、ベトンの壁の厚い東正面に向け、
有効に使えるはずだった203高地の攻略に用いなかったとも批判される。

28サンチ砲は要塞設備に有効であろうともなかろうとも、伊地知は批判される無敵論法である。

いくつかの書物をみたところでは、
ロシア軍の砲塁のベトンは厚く、28サンチ砲では到底抜けなかったようである。
「単純な計算もできない」と批判する司馬遼太郎氏に対して、別宮氏は
「素人計算で何どやってやがる」というような趣旨の批判を展開していた。
軍事の世界では、ある対象物について兵器が有効かどうか、
カタログスペックではない実際の相場値は、実際運用してみるまでわからない
(だから兵器の実戦経験は重要)、だそうだ。

ただ、そういう別宮氏も要塞攻撃における28サンチ砲の効果の批判者ではない。
むしろ、その転用を推奨した有坂氏を高く賞賛している。
要塞本体の防御壁は崩せずとも、二回命中させれば兵舎の壁を崩落させることはできたそうだ。

確かに、旅順関連の書物では穴の空いた兵舎の壁とかの写真をしばしば目にするし、
203高知陥落後に、防衛戦の要であったコンドラチェンコも兵舎の下敷きにして仕留めている。

兵舎には有効であったということは、ロシア軍の戦術において大きな脅威であったという。
前線近くに予備兵を安全に留めておくことができなければ、機動的な防御戦が展開できない、ということだろう。

つまり、東正面に対しては、戦況をひっくり返すほど目立った効果もなかったが、
敵をじわじわ追い詰めるのには十分な効果があったというあたりのようだ。
(その効果がリアルタイムで認識できていたかどうかは不明)

また203高地に対しても、
別宮氏は天蓋を鉄骨で覆う程度の簡易のざんごう施設には有用だったとしている、
しかし、泥濘の203高地に弾が刺さって28サンチ砲は期待されるほど有効でなかった
という説もどっかに描いてあった(うろ覚え)。さらに、
満州平野では氷の大地に跳ね返されたとかなんとか。

いずれにせよ、
28サンチ砲導入後の、現場将兵の苦悩、苦闘を見るに、
超兵器の登場によって一挙に戦局が決まる、
というほど劇的なものではなかった。
ぐらいの理解が無難かと思う。

ただ、「新兵器」としての意義だけじゃなく「弾薬活用」としての意味。
28サンチ砲によって「海防用に備蓄していた弾薬」が使用できるようになったという
点は、地味に重要であったように思ってる。





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