<Back   TOP     Next>

 

 

 

 

▽コメント・ご意見、よろしくお願いします!

 

Tweet

<Back   TOP     Next>


※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。



【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)

●旅順虐殺事件

日清戦争において旅順に入城した日本軍第2軍が起こしたといわれる民間人虐殺事件。
その被害者の推定人数は、数十人から1.8万人まで幅がある。
南京事件と同様、証言の信憑性、「非戦闘員の定義」その他、の問題があり、正しい数字は定まらない。

事件の背景としては、
清国兵の非人道的な捕虜待遇による復讐心、民間に紛れて抗戦する便衣兵の存在、
外国人ジャーナリストによる誇張など、後世の教訓となりうる様々なものがあり、
後の「南京事件」の前史として、その政治、政略的意味も含め、いろいろ考えさせられる。

「文明国として認められ不平等条約を改正」を目指す当時の明治政府にとって
「やはり日本は野蛮なアジアの国」と見なされることは、看過できない問題であり、
政府自身が、事態の解明と釈明、もみ消し(ジャーナリスト買収)等に動いた形跡がある。

少なくとも当時の政府の立場として、事態の存在自体をある程度認めており、
その政略は、上記の背景を説明することで、沈静化を図るということにあった。
一方で、戦勝ムードに水はさせない、ということで大山巌司令官以下第2軍を
この件で処罰することもなかったという。

当時の乃木も師団長として、この旅順に最初に乗り込み、掃討戦に参加している。
(国際的に問題にされた制圧後の虐殺は掃討任務を引き継いだ旅団によるもののようだが)

その実態、事実関係はともかくとして、
当時の政府関係者、陸軍首脳、後に再び旅順攻略の任務を受けた乃木等の将官にとっても
忘れることのできない事件であったはずである。



●『武士道』

先の五千円札、新渡戸稲造が著した書物。
海外の精神性に比肩するものは日本にあるか、
キリスト教徒でもあった彼が自問自答の末、見つけた
「にほんのよすが」という理解(うろおぼえ)。

なお、本人にその意図があったかどうかは別として
「野蛮な国ではなく文明国」
として世界に日本を売り出したい政府の思惑とも
合致した、非常に時代性の強い作品であるといえる。

江戸時代の書物に主に依拠しており、
その意味では観念的な規範をとりまとめたものであって、
「日本人がそうであったか』という点については実証性が乏しい。


「クールジャパン」とか「江戸しぐさ」の明治版ともいえる。

なお、司馬遼太郎の作品では、
乃木が武士道の体現者として扱われる傾向にある。
(吉田松陰の師匠の親族であるとか、欧州での挫折が彼をそちらに向かせたとか)
明治政府も「ザ・武士道」として乃木押しをしていたようである。

●旅順艦隊の壊滅

203高地の攻略は、旅順艦隊の確実は撃滅を求める海軍の要請によるものであった。
『坂の上の雲』などでは、この高地攻略(=旅順艦隊の壊滅)の重要性を理解しない頑迷な第3軍
とそれを知る大本営・海軍の摩擦と焦燥という構図で話が展開する。

しかし、近年では、旅順艦隊は9月の第2回攻撃準備で攻略した「なまこ山」からの
観測砲撃により、第3軍司令部は旅順艦隊はすでに
無力化していると判断していたことが知られている。
(ロシア側の資料により、この判断は正しかったともされている)
第2回総攻撃前には、現地の密偵、また中国人苦力、ロシア人捕虜の証言から、旅順艦隊の兵装や兵員は
すでに陸戦の戦力として投入されてたという情報を得ており、乃木の名義でその旨、大本営に報告を行っている。

だが、この報告はついに大本営・海軍に信用されず、歴史は最終的に泥沼の203高地争奪戦に突入していく。

と、以上の話を踏まえれば、
「事実は通説(通俗説)とは正反対であり、賢明な第3軍は真実を掴んでいたが、
 頑迷な大本営・海軍のゴリ押しによって、被害甚大な203高地攻略戦に引きずり込まれた」
というストーリーを描くことが可能であり、そう描きたいという欲求もある。
しかし、散文頑迷とされたものの免罪が即座に、別のものの頑迷さを証明する、というものでもないだろう。
その意味では、歴史はごくつまらない。

私の私見になるけれども、おそらくは、海軍界隈における艦隊の全滅判定は、
事実確認、および破壊の強度において、陸軍のそれとは大きく異なっていたのだろう、と思う。
(備忘録として書いておくなら、後日、203高地奪取後の艦隊砲撃で、旅順艦隊側のキングストン弁が開かれたことの
 意味がどうもわからなかったのだけれども、海軍的な「撃滅」の意味を知るものによる意思表明、
 市街地への誤爆を回避するための、海軍玄人同士のコミュニケーションのようなものだったのではないか)

沈没を確実に確認するまで、
確実な観測地を執拗に求める海軍は
「潔癖にすぎる」と思えなくもない。
しかし、正面攻撃なら抜けるのか、艦隊はなお生きているのか(生き返るのか)など、
当事者だけが味わっていた不確実性というか神経すり減らすものが並ぶなか、
選択が行われていいったのだろう、とは思う。

「真犯人」を見つけるのは、仕立て上げるのさえ、なかなか容易ではない。
歴史小説家はえれーです。本当。



●秋山真之

司馬遼太郎の長編小説、『坂の上の雲』の主人公の一人。
日露戦争時の連合艦隊作戦担当参謀。
小説上では、「変人だが天才」ポジション。
「皇国の荒廃この一線にあり、各員一層奮励努力せよ」
「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出撃、これを撃滅せんとす。
 本日天気晴朗なれども波高し」
などの電報の起草者としても有名。

もう一人の主人公である秋山好古の弟でもある。
序盤のエピソードをみると、かなりのブラコンくさい。

軍人、文民双方にまたがる
日露戦争の推進派のグループ「湖月会」の構成員でもあったようだ。

<Back   TOP     Next>

inserted by FC2 system