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お詫び)作者の力量不足より、第3部は、ダイジェスト方式でお送りさせていただきます。

▽コメント・ご意見、よろしくお願いします!

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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。



【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)



●乃木と児玉の因縁

児玉と乃木は、同じ長州系の軍人として、少なからぬ因縁があったようだ。

1.西南戦争のおり、乃木は官軍として参加。天皇から下賜された軍旗を敵に奪われるという失策をやらかす。
 その後の、自滅的な戦い、あるいは自殺願望を押しとどめ、説得したのは熊本鎮台参謀の児玉だった。

2.この事件が災いして児玉は後、謹慎3日間を命じられる。(軍旗の紛失の報告が遅れたとかの罪)
 この事件がきっかけで、もともと長州反主流派だった児玉は、乃木の所属していた主流派(山縣派)に接近する。
 (この事件と結果の関係はよくわからない。谷による児玉の嫌がらせの結果ということか。)

3.児玉は東京鎮台の第2連隊長時代に、同第1連隊長の乃木を演習で大いに破ったとされる。
 このとき児玉は、乃木を、「機転(希典)の利かぬ野狐(乃木)」とやゆしていたという。

4.乃木は台湾総督を務めたが、うまく統治できず、「記憶力減退」を理由に辞任する。
 その後に、同職について、後藤新平を部下に大いに台湾統治を成功させたのは児玉だった。

5.そして日露戦争では…?。

二人は仲が良かった、友情があったというようなことも、
児玉は乃木を尊敬していたとも言われてるけれども
実際のところは分からない。当事者のみが知ることだろう。

長州人脈の本流にありながら、才気あふれる「後輩」に追い抜かれ、
あまつさえ何度も助けられる。
凡人の推察では心中穏やかでなかったように思う。

ドイツで、武士道に目覚め、軽薄な才より重厚な精神を重視するようになったのも
あるいは児玉への対抗意識ではなかったか、なんて考えたりもする。

『天辺の椅子』だと出世競争相手みたいな扱いだった。
(ゆえに同作の児玉、乃木は、他の創作や逸話に比べすごく小物臭が漂っている)

●日露戦争とコネ人事


司馬遼太郎『坂の上の雲』のモチーフの一つは、
縁故人事 対 能力主義
であり、明治日本における合理性を後者に見出そうとしている。
弱小藩閥の秋山兄弟がその代表であるが、
その他も「いいもん」「わるもん」をその出自やその地位についた経緯などから
だいたい分析して、上記の構図を補強する。

乃木第3軍は、コネ人事の最悪の例として描かれる。
乃木は、松下村塾の吉田松陰の師弟。
伊地知は、大山の娘婿。


この二人に対する私の評価はまだ定まってないが、
「あいつはコネ野郎だからダメだ」という罵倒はだいたい結果論である。
満州軍コンビ大山、児玉も、また評価の高い、第1、2、4軍の司令官、参謀長クラスも
たいていは薩長閥で固められている(小倉は長州閥とカウントするなら軍司令官100%)。

もし、戦争に負けてたら軒並み「やっぱりコネだからだ」ということで
薩摩人の東郷もろとも糞みそに批判されていただろう。

他方、明治陸軍が司馬が理想に感じたような、薩長閥以外の
能力主義的に立身してきた層がいたことも事実であり、秋山兄弟、特に弟はその象徴であった。
(組織の急拡大期で幹部候補のオープニングスタッフが薩長出身者でまにあわなかった?)

「能力主義」とはいっても多分に学校の成績だったりするわけだが。
陸軍士官学校や海軍兵学校出のエリートと薩長閥との摩擦は、
その後の日本陸海軍の底流となっている(と思っている)。

ただ、少なくとも表面だけ見れば、日本陸軍の暴走が顕著になってきたのは、
主に「能力主義者」の台頭に伴うものだという皮肉な見方もできる。
(薩長閥時代は、政治家と軍人の距離が近く、意志疎通、
 状況についての問題意識の共有がより容易だったとする説もある。
 日露戦争自体もまた、松川、福島、井口ら非長州系の若手将校がより強く主張した)


●コネ人事の功罪

一般に、コネ、縁故はあまりよい意味では使われない。
依怙贔屓とかそういうイメージがあるからである。
実際に、才能のある人が、それによってチャンスを失う、逆に
しかるべき地位にしかるべき人が入らない、ということがあるならば
個人、社会(組織)双方にとって損失であろう。

またコネクションが重要な意味を持つことで、
人間関係がよりウェットで面倒くさい、妙な「権力関係」が発生する、
というのも面倒な側面の一つである。(キーパーソンに頭を下げる必要がある)


露骨なコネは、競争心をそぎ、組織全体を白けさせるのは確かであろう。


ただ、コネクションにも一定の合理性はある。
つまり「顔やさまざまな背景を身知っている人」のほうがそうでない人よりもリスクが少ない。
あるいは「紹介」を通じて、「紹介者」に一定の責任を負わせることができる、などである。
まったく公平に同じ条件、情報だけで選ぶよりははるかに安全である。

地方有名人の推挙で中央のに進出、試験が受けられる儒教システム
明治期日本の、地元で評判の才子が後援者を得て東京の大学に行く(浜口雄幸など)
なども類似の仕組みだろう。

つまり、コネ社会も、一定の枠組みの中で能力主義の側面がある。

たぶん「コネ」というのは、
「努力によって形成されたネットワーク、またその中での高評価」
と、
「単なる地縁、血縁など、その人の能力と関係ないところで形成された地位」
が両方含まれており、なるべく分けて考える必要があるということでしょうか。


といって、コネ社会を全面支持するわけではもちろんないですが。


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