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お詫び)作者の力量不足より、第3部は、ダイジェスト方式でお送りさせていただきます。

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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切かかわりがありません。



【明治日本マメ知識】(敬称略)

(※並行世界であるマンガ本編とは何ら関係ありません。読まなくても本編の理解には何の差支えもありません。)
(※wiki読んだという程度の知識、ソースはほとんどネット(しかも特定しません)。で書いてます。話半分で読んでください)

(※くだらない私見はいってます。適当に読み流しorツッコミくださいませ。)
(※誤り等ありましたら、がんがんご指摘お願いします。いろいろ教えてもらえると描いてるかいがあります)



●乃木希典

第3軍司令官。長州出身。
明治天皇の崩御とともに妻もろとも「殉死」し、その後「乃木神社」が建立される。
彼は「軍神」とされ、その名や各種のエピソードは国威発揚に大いに活用される。

日清戦争時、旅順攻略戦に参加。1日で陥落させたところを見込まれ司令官に就任。
また、薩摩系の軍団長2人に対する派閥均衡人事という側面もあった。

幼少時に左目を失明。
(なお大山巌も片目の光を失っている)

旅順攻撃の司令官として、軍事技術に関する能力は疑問視されることが多い。
小説『坂の上の雲』では、近代戦の軍事技術の知識や柔軟性に乏しい「無能」な将軍という説が取られている。

ただ、この「無能説」に対し、
彼の要塞戦に関する知識は確かであり(海外の主要論文をすべて読んでいた)、
即座の戦術転換とその実効性についての外国人記者の評価もあり、
また旅順戦の性質、性格全体を踏まえて、乃木無能説に対しては異論、反論も存在する。


軍人としての能力についての評価が分かれる一方で、
司令官、軍人としての彼の高潔で厳格な人格に関しては国内外でおおむね高く評価されている。
彼自身、もともとはそのような性格ではなく、若年期には軽薄な側面もあったとされるが、
ドイツ留学を契機に、ユンカー達の貴族精神に心を打たれ、自らも古武士然とするようになったといわれている。

国内あるいは現地で自信を失ったものが、海外で自らのよすがを見つけ、
そこに同一化するというのはいかにも人間味のあるエピソードだと思う。

いずれにせよ、こうしたイメージも、彼が後に「軍神」として祭り上げられる要因の一つだったと思われる。


なお、高潔というイメージから、潔白、無欲という印象で語られることの多い彼だが、
『天辺の椅子』では、児玉と出世競争をするもう少し俗物くさい人物として描かれており
(自分が参謀次長やりたかったとか)
また日露戦争時しかるべき役が与えられないのを不満に覚え、
第3軍司令官任命時は嬉しかったとかのエピソードもある。

ドイツに憧れてみたりするところなど、
わりと人間臭い人だったのではないかと、個人的には思っている。


芥川龍之介の小説『将軍』では、ほとんど狂人扱いでもある。



●伊地知幸介

第3軍参謀長。薩摩出身。

大山巖の娘婿。
砲兵の専門家というところを見込まれ、第3軍の参謀長に任命される。

旧陸軍士官学校の1期生であり、同期の間では最も早く少将に就任。
出世頭であった(戦後、中将への出世も一番早かったが中将どまりであった)。

旅順戦以降は、任を解かれ、旅順要塞司令官に任命。

旅順攻略に関して
彼の参謀としての能力への批判は当時から存在していたようであり、
乃木が「軍神」として神格化されるとそれは強化、
小説『坂の上の雲』で、人災級の無能といった評価がほぼ社会的に定着した。


私もはじめてこの小説を読んだ時に、
「うおおお。伊地知が、伊地知があ!」と悶絶したものである。



性格は剛直と言われ、あまり周囲には好かれてなかったようだ。



●迪宮(みちのみや)(親王?)

後の昭和天皇。
7歳より乃木希助院長を務めていた学習院初等科に進学。
乃木から厳格な教育を受けたとされる。

孫である迪宮親王の教育を預かるところに、明治天皇の乃木に対する信頼の厚さをうかがわせる。

ただし、彼が教育を受けたのは日露戦争後。
日露戦争中は、まだ3歳か4歳ぐらい。



●陸軍の技術軽視?

戦前の陸軍は技術軽視、ということについてはたくさんの論者が指摘している。
小銃その他日露戦争期の軍事技術を高く評価する論者でも、
その後の技術的停滞については擁護してない。

精神論、物資の不足などなどがあるが、もうひとつは人事の問題があるかもしれない。
なんとなくだけど、技術者がそのまま偉くなって軍や国などの組織のトップになることはなかった気がする。
日本では技術者はあくまで、「使われる側」というイメージ。
それが、技術軽視と関っている気もする。

陸軍の場合は、作戦偏重。技術やその基礎となる物資、工業力だと逆立ちしても追い付かないから
「寡を以って衆を破る」作戦が重視されたという印象がある。
つまり、精神主義と作戦重視は相通じるものがありそう。

で、作戦といっても基本は机上演習なので、
「弁の立つ奴と作図の上手い奴が出世する」とかいうことは
当時の陸軍でもすでに言われていたことのようだ(うろおぼえ)。

現代だと
上手なプレゼンをする人と、実際に仕事できる人はちょっと違う、
という印象でしょうか。


ただ、某国首相やノーベル賞級の人の発言とか見てると、
「理系が仕切る社会がいい」とは必ずしもいえない気もしてますが。
(そもそも文系理系の問題じゃないけど)


技術と社会の関係について、
学問や教育の体系、キャリアの体系として、
理系文系があまりにはっきり分かれ
両者が分断されすぎている、という問題かもしれない。
高校から、もう区分けされてしまってますしね。


少なくとも国を担うエリートには
両方勉強してもらうってのはいかがでしょう。


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